2014年 03月 01日
『大浮世絵展』へ |
先日、両国の江戸東京博物館で開催されています『大浮世絵展』に行って来ました。
浮世絵の創世より明治初期頃までの浮世絵の歴史が作品を通して学び見ることが出来ます。
連日老若男女、、、大勢の方が見に来ているようで私も週一回の延長観覧日で空いているかと思いきや
大変混雑していました、、、、今も浮世絵の人気は衰えることはないようです。
日本の絵画と言えば室町期後半から安土桃山時代に狩野永徳や長谷川等伯などの画人が現れ
後に江戸期に入り尾形光琳などの琳派や各派が台頭してきました、、、、、
いずれにしてもこれらは寺院や武家の城などの襖絵や屏風に陥られ高貴な存在だったと思います。
その時代からやや遅れ『浮世絵』と言うジャンルが生まれたそうです、、、、、、
明日をも知れぬ人々の人生観、、、、そんな中に『今を楽しむ』気風が浮世絵にとって高まってきたと
解説されています。『浮世絵』は読んで字の如く「浮世の絵図」です。
浮世絵は肉筆画より17世紀後半には版画の形式となりその後、多色刷りの技法となり『錦絵』の
誕生に続きます、、、木版画により大量生産が出来、しかも安価で手に入ります。この頃鈴木春信より始まった浮世絵黄金時代の幕開けとなります。
『浮世絵は』様々な絵師の出現により(春信・清長・歌麿・写楽・北斎・広重、六大浮世絵師)庶民に絶大な人気になったわけですね!
その画風も時代によって移り変わり、、、、、、見立てによる美人風俗からより現実的な美人図、、、、、
歌舞伎役者の大首絵図、、、、、、そして庶民の旅の流行からか北斎・広重に代表される『風景画』へ、、、
幕末から近代にかけては文明開化が進み富国強兵なども有り次第に『報道色』が濃くなってきました。
その後は西洋から来た写真機に描写的にはその座を奪われた形になります。
こんなことが学べる『大浮世絵展』でした、、、、、、、ここまで書いたことは解説や私の知っていたことを
まとめた主観ですからあしからず、、、、、、
さて、、、、、、、実はこの展覧会、、、、、、私にはもう一つ大きな目的が有りましてねーーーー!
実は私が生業としている押絵羽子板は元々は浮世絵師の考案でできた物です。
押絵羽子板の本によると系図に真っ先に出てくるのは『豊原国周』です、、、、幕末より明治前期に
かけて活躍した浮世絵師です。その本によると江戸時代には羽子板屋はすでに存在しその多くが
羽子板に押絵の『花鳥風月』を題材にしたものだったようです。
その羽子板屋が豊原国周に役者絵の下図を依頼し、、、その後国周は押絵羽子板の世界へと入っていきます。
今回の『大浮世絵展』にも国周の浮世絵が有りましたが、、、、まさに押絵羽子板そのものの絵姿でした。
押絵羽子板にとりまして三代目豊国と豊原国周は規範であり、面相師には国周を師とする系統の人が
少なくありません、、、、、、その流れを汲んでいるのが西山鴻月であり私でもあるのです、、、、、、、
近年、、、、『羽子板屋さん』の名称に成りつつありますが少しでも江戸時代以来の役者絵を力強く
引き継いだ豊原国周や先人の思いや気風を胸に抱き今後羽子板作りに従事したいと思います。
浮世絵の創世より明治初期頃までの浮世絵の歴史が作品を通して学び見ることが出来ます。
連日老若男女、、、大勢の方が見に来ているようで私も週一回の延長観覧日で空いているかと思いきや
大変混雑していました、、、、今も浮世絵の人気は衰えることはないようです。
日本の絵画と言えば室町期後半から安土桃山時代に狩野永徳や長谷川等伯などの画人が現れ
後に江戸期に入り尾形光琳などの琳派や各派が台頭してきました、、、、、
いずれにしてもこれらは寺院や武家の城などの襖絵や屏風に陥られ高貴な存在だったと思います。
その時代からやや遅れ『浮世絵』と言うジャンルが生まれたそうです、、、、、、
明日をも知れぬ人々の人生観、、、、そんな中に『今を楽しむ』気風が浮世絵にとって高まってきたと
解説されています。『浮世絵』は読んで字の如く「浮世の絵図」です。
浮世絵は肉筆画より17世紀後半には版画の形式となりその後、多色刷りの技法となり『錦絵』の
誕生に続きます、、、木版画により大量生産が出来、しかも安価で手に入ります。この頃鈴木春信より始まった浮世絵黄金時代の幕開けとなります。
『浮世絵は』様々な絵師の出現により(春信・清長・歌麿・写楽・北斎・広重、六大浮世絵師)庶民に絶大な人気になったわけですね!
その画風も時代によって移り変わり、、、、、、見立てによる美人風俗からより現実的な美人図、、、、、
歌舞伎役者の大首絵図、、、、、、そして庶民の旅の流行からか北斎・広重に代表される『風景画』へ、、、
幕末から近代にかけては文明開化が進み富国強兵なども有り次第に『報道色』が濃くなってきました。
その後は西洋から来た写真機に描写的にはその座を奪われた形になります。
こんなことが学べる『大浮世絵展』でした、、、、、、、ここまで書いたことは解説や私の知っていたことを
まとめた主観ですからあしからず、、、、、、
さて、、、、、、、実はこの展覧会、、、、、、私にはもう一つ大きな目的が有りましてねーーーー!
実は私が生業としている押絵羽子板は元々は浮世絵師の考案でできた物です。
押絵羽子板の本によると系図に真っ先に出てくるのは『豊原国周』です、、、、幕末より明治前期に
かけて活躍した浮世絵師です。その本によると江戸時代には羽子板屋はすでに存在しその多くが
羽子板に押絵の『花鳥風月』を題材にしたものだったようです。
その羽子板屋が豊原国周に役者絵の下図を依頼し、、、その後国周は押絵羽子板の世界へと入っていきます。
今回の『大浮世絵展』にも国周の浮世絵が有りましたが、、、、まさに押絵羽子板そのものの絵姿でした。
押絵羽子板にとりまして三代目豊国と豊原国周は規範であり、面相師には国周を師とする系統の人が
少なくありません、、、、、、その流れを汲んでいるのが西山鴻月であり私でもあるのです、、、、、、、
近年、、、、『羽子板屋さん』の名称に成りつつありますが少しでも江戸時代以来の役者絵を力強く
引き継いだ豊原国周や先人の思いや気風を胸に抱き今後羽子板作りに従事したいと思います。
by hagoita-kougetsu
| 2014-03-01 09:19
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